加藤千洋の「天安門クロニクル」(17)  国内に留まるか、国外脱出か(下) 「第二の忠誠」を貫いたジャーナリスト(J-CASTニュース)

カエテンジョイ レスポンシブ対応無料ブログSEOテンプレート(坂井 英晃)の悪評のレビューあり?

カエテンジョイ レスポンシブ対応無料ブログSEOテンプレートを販売している
坂井 英晃さん・・・

注目度が高い分、いろいろな噂もあるよね。

出典元:外国メディアの記者たちと談笑する劉賓雁(中央の背広姿)。1985年1月、北京の中華全国新聞工作者協会の応接室で

実はニューヨークの集会で一番会いたかったのは劉賓雁だった。『北京之春』編集部ではゆっくりと話が出来なかったので、翌日、宿泊先のマンハッタンのホテルを訪ねる約束をした。

■劉賓雁との出会い

 劉と初めて出会ったのは私が1回目の北京特派員として着任して間もない1985年1月だった。ニューヨークで再会するちょうど10年前だ。

 中華全国新聞工作者協会(しいて言えば日本新聞協会に相当)が主宰していた外国メディアとの懇談会に、我々の要望に応えてゲストとして来てくれたのだ。当時の劉は「時の人」だった。

 前年12月末に北京で久しぶりに開かれた中国作家協会の総会は、いまだに「画期的な大会だった」と関係者の間で語り継がれている。共産党と政府が「作家の創作の自由を認める」との方針を初めて示したからだ。大会で圧倒的な支持を得て副主席の一人に選ばれたのが劉だった。主席には長老の巴金が就任したが、出席者の自由投票で最多の票を得たのは劉だったという。

 一党独裁体制下の中国では中国作家協会が文学界の唯一の公認全国組織だ。これに所属が認められれば一定の経済的保障が得られ、安定した創作環境を確保できる。だが運営から人事面などあらゆる面で党の意向を無視できず、すっぽり党の傘下にある団体と言えよう。

 それだけに時に党の方針を批判し、社会主義体制下の暗部を描いたことで何度か処分を受けてきた劉が副主席に、しかもトップ当選したことは、まさに異例中の異例の出来事と言えた。

 思い思いにソファーに座り、自由な雰囲気で行われた懇談会で劉は自信にあふれ、創作や報道のあり方に熱弁をふるった。

  「タブーがあるかって? 憲法の枠内なら何を書いてもよいと思う。言論の自由は人民自らが作りだすものだ」

 当時書いた記事を読み返すと、こんな発言をしている。

 「気骨あるジャーナリストが現れたな」という印象だったが、よほどの愛煙家なのか、一時もタバコを手放さなかったことも強く記憶に残る。

 党の監督下にある作家協会が、この時、なぜ極めて解放的な大会運営ができたのだろうか――。

 それは党トップの総書記に胡耀邦が座り、イデオロギー担当の責任者が、胡耀邦の子飼いの部下で、天安門事件で趙紫陽とともに失脚した胡啓立だったからではないか。2人は走り出していた改革開放路線にさらに弾みをつけるには、社会に「思想解放の風」を一層吹き込むことが必要だと考えていた。

 そして党内保守派からの批判を招く可能性大のルポルタージュ作品を劉賓雁がかなり自由に書け、そして発表できたのは、背後に胡耀邦の後ろ盾があったからではないか。

 ニューヨークでインタビューの機会を得た時、ずっと気になっていたこの点から質問した。

 「もちろん胡耀邦は知っているが、それほど親しい関係ではないんだ。まして彼が私を使って書かせたというようなことは、まったくない」と断言した。

 胡耀邦と劉の最初の接点は、劉が党の青年組織の共青団の活動を始めた1950年代にさかのぼる。51年に共青団機関紙『中国青年報』の記者になるが、その当時の共青団トップは胡だった。

 そして劉は1956年、代表作に数えられる『橋梁工事現場にて』と『本紙内部ニュース』を相次ぎ発表。どちらも党や政府幹部の腐敗汚職を暴き、官僚主義を批判する作品だけに、国内で大きな反響を巻き起こした。

 しかし、翌57年に毛沢東が発動した「反右派闘争」では、「党を誹謗した右派分子」として批判される。この激しい政治運動では全国でインテリ層を中心に55万人が「右派」と認定され、うち半数以上が公職を失い、農村での強制労働を強いられている。

 それに続く文化大革命でも処分は続き、文革が終息した後の79年までペンを持つ自由を奪われている。こうした苦難の道のりは『劉賓雁自伝』(1991年、みすず書房)に詳述されているが、同書巻末の「著作目録」を見ると1958年から78年まで20年間が、まったくの空白になっている。

 79年に名誉回復され、『人民日報』記者の肩書を得て間もなく、再び話題作『人と妖怪の間』を発表する。

 中国東北部のある県の公営燃料会社の女性幹部の巨額汚職事件を取り上げたルポだが、これを読んで私には忘れられない一節がある。

  「(県党委員会議事録を見ると)あらゆる問題が討議されている。募兵、計画出産、刑事犯の量刑、種まきの計画……ただ一つ党自身の問題についてほとんど議論がない。共産党はすべてを管理する。ただ共産党だけは管理しない」

あまり良くないレビューや悪評とかって
それが本当かどうか、ちょっとよくわかりません。

出典元:外国メディアの記者たちと談笑する劉賓雁(中央の背広姿)。1985年1月、北京の中華全国新聞工作者協会の応接室で

実はニューヨークの集会で一番会いたかったのは劉賓雁だった。『北京之春』編集部ではゆっくりと話が出来なかったので、翌日、宿泊先のマンハッタンのホテルを訪ねる約束をした。

■劉賓雁との出会い

 劉と初めて出会ったのは私が1回目の北京特派員として着任して間もない1985年1月だった。ニューヨークで再会するちょうど10年前だ。

 中華全国新聞工作者協会(しいて言えば日本新聞協会に相当)が主宰していた外国メディアとの懇談会に、我々の要望に応えてゲストとして来てくれたのだ。当時の劉は「時の人」だった。

 前年12月末に北京で久しぶりに開かれた中国作家協会の総会は、いまだに「画期的な大会だった」と関係者の間で語り継がれている。共産党と政府が「作家の創作の自由を認める」との方針を初めて示したからだ。大会で圧倒的な支持を得て副主席の一人に選ばれたのが劉だった。主席には長老の巴金が就任したが、出席者の自由投票で最多の票を得たのは劉だったという。

 一党独裁体制下の中国では中国作家協会が文学界の唯一の公認全国組織だ。これに所属が認められれば一定の経済的保障が得られ、安定した創作環境を確保できる。だが運営から人事面などあらゆる面で党の意向を無視できず、すっぽり党の傘下にある団体と言えよう。

 それだけに時に党の方針を批判し、社会主義体制下の暗部を描いたことで何度か処分を受けてきた劉が副主席に、しかもトップ当選したことは、まさに異例中の異例の出来事と言えた。

 思い思いにソファーに座り、自由な雰囲気で行われた懇談会で劉は自信にあふれ、創作や報道のあり方に熱弁をふるった。

  「タブーがあるかって? 憲法の枠内なら何を書いてもよいと思う。言論の自由は人民自らが作りだすものだ」

 当時書いた記事を読み返すと、こんな発言をしている。

 「気骨あるジャーナリストが現れたな」という印象だったが、よほどの愛煙家なのか、一時もタバコを手放さなかったことも強く記憶に残る。

 党の監督下にある作家協会が、この時、なぜ極めて解放的な大会運営ができたのだろうか――。

 それは党トップの総書記に胡耀邦が座り、イデオロギー担当の責任者が、胡耀邦の子飼いの部下で、天安門事件で趙紫陽とともに失脚した胡啓立だったからではないか。2人は走り出していた改革開放路線にさらに弾みをつけるには、社会に「思想解放の風」を一層吹き込むことが必要だと考えていた。

 そして党内保守派からの批判を招く可能性大のルポルタージュ作品を劉賓雁がかなり自由に書け、そして発表できたのは、背後に胡耀邦の後ろ盾があったからではないか。

 ニューヨークでインタビューの機会を得た時、ずっと気になっていたこの点から質問した。

 「もちろん胡耀邦は知っているが、それほど親しい関係ではないんだ。まして彼が私を使って書かせたというようなことは、まったくない」と断言した。

 胡耀邦と劉の最初の接点は、劉が党の青年組織の共青団の活動を始めた1950年代にさかのぼる。51年に共青団機関紙『中国青年報』の記者になるが、その当時の共青団トップは胡だった。

 そして劉は1956年、代表作に数えられる『橋梁工事現場にて』と『本紙内部ニュース』を相次ぎ発表。どちらも党や政府幹部の腐敗汚職を暴き、官僚主義を批判する作品だけに、国内で大きな反響を巻き起こした。

 しかし、翌57年に毛沢東が発動した「反右派闘争」では、「党を誹謗した右派分子」として批判される。この激しい政治運動では全国でインテリ層を中心に55万人が「右派」と認定され、うち半数以上が公職を失い、農村での強制労働を強いられている。

 それに続く文化大革命でも処分は続き、文革が終息した後の79年までペンを持つ自由を奪われている。こうした苦難の道のりは『劉賓雁自伝』(1991年、みすず書房)に詳述されているが、同書巻末の「著作目録」を見ると1958年から78年まで20年間が、まったくの空白になっている。

 79年に名誉回復され、『人民日報』記者の肩書を得て間もなく、再び話題作『人と妖怪の間』を発表する。

 中国東北部のある県の公営燃料会社の女性幹部の巨額汚職事件を取り上げたルポだが、これを読んで私には忘れられない一節がある。

  「(県党委員会議事録を見ると)あらゆる問題が討議されている。募兵、計画出産、刑事犯の量刑、種まきの計画……ただ一つ党自身の問題についてほとんど議論がない。共産党はすべてを管理する。ただ共産党だけは管理しない」

ネットの評判や噂って
実際のところどうなんだろう?

正直、ノウハウに興味あるから気になります。

わたしが気になっているのはコレ・・・

こんなに簡単に効果がでるんなら
すぐにでもやってみたい気がするんですよね。

評判や口コミどおりに効果あるなら
嬉しいけど・・・。